2016年9月7日水曜日

新しい翻訳絵本

おかげさまで、新しい翻訳絵本ができました。
ケビン・ヘンクス『まどべにならんだ五つのおもちゃ』徳間書店
どうぞ、ご覧ください。
はさみこみの「子どもの本だより」2016年9/10月号巻頭の
「お宝再見!」が楽しいです。なくしたと思ってあきらめていた
本とマンガが出てきたのですって!うれしかったでしょうねー。
 これを書かれた濱野恵理子さんがご担当下さいました。
ありがとうございました。

まどべにならんだ五つのおもちゃ


2016年2月25日木曜日

くまちゃんなの?


リズ・クリモをお手本にしたおえかきです。
冷蔵庫の前面ガラスに、松井実。

2016年2月23日火曜日

2016年2月22日月曜日

セーター解説

上から80歳の母の。27歳の息子の。58歳の私のです。
製図はどれも、『嶋田俊之のセーターブック・ニットコンチェルト
~伝統を奏でるニット24作品』2007年10月、日本ヴォーグ社をもとに改変。
糸は、廃盤になってしまったハマナカエクシードウールM(中細)の、
白、黒、水色、紺、濃紺の5色。私のは白と濃紺の2色。
おばあちゃんとお揃いって、お洒落でしょ? 
でもかあちゃんとはなるべく似たくないだろうと、違う雰囲気を考えました。
早く着ないと春になってしまいますね。

2015年8月30日日曜日

夕焼け学会報告

2015年夏の夕方、東の空(写真上。右が南)を眺めたら、空が縦二つ割りになっていたので、驚いて外に出てみると、西の空(写真下。左が南)はその鏡像になっていて、ますます驚く。松井実撮影。

蓮華升麻(レンゲショウマ)


筑波実験植物園にて。松井俊浩撮影。

2015年8月18日火曜日

2015年7月18日土曜日

黒松ぼんこちゃん


春に入手した黒松盆栽のドキドキ手さぐり手入れ終了。
苔が育ってくれたのが嬉しい。

アンジェラ夏の部

気がついたら、雨の中でアンジェラ夏の部が花盛り。
神楽鈴みたいな花の付き方で、春とは違う植物のよう。
花びらだけをはずしてみた。

2015年7月10日金曜日

平沢官衙遺跡 



「ひらさわかんがいせき」と読みます。不思議な空間。

2015年6月21日日曜日

庭のネジバナ 

今年のネジバナは豊作で、庭の芝生にも結構咲いてくれました。
可憐です。

2015年6月7日日曜日

現代の「五人組」、スマホ版相互監視制度


 新聞で見つけた『次はキミの番かもしれない……本当に怖いスマホの話』金の星社20153月を読んだ。今の子どもたちにとって、どういう行為が「いけないもの」とされるかは、少しわかった。おばあちゃんちに行くときに、持って行くつもりだったスマホを忘れて、友達と数日間連絡が取れないと、死んだことにされてしまう。学校から帰って、ちょっとは勉強しようとか、今日は眠いとかで、スマホでのおしゃべりに参加できないと、裏切り者みたいに扱われる。「そんなのが、友達?」と、腹立たしい。
 それでは、彼らにとって、何が「望ましい在り方」かということは、どうもわからなかった。上記の情報から消去法で行くと、学校の長い拘束時間が終わって、やっと一人になれたのに、ココロは友達から離れず、いつもスマホにはりついて、つながっていないといけない。抜けがけの勉強で成績を上げてしまったり、抜けがけの睡眠できれいなお肌になったりしたらアウト。そうならないために、自分が今何をしているかを、細かく申告しないといけない…ってこれ、違うよね。活字だけでは何もわからなくて、劇画的理解に走っただけだよね。。
 若いお母さんが、「子どもが起きている間は、スマホに触らないようにしています」とのことで、へえー、毅然としておられてすてきと思ったら、「そういうことをすると、仲間内から『ちょっと変な人(アブナイ人のニュアンスあり)』に見られるのはわかっている。でも私の友達は『彼女はそういう人』と思ってくれているから、助かる」。
 お人柄のよい彼女は、スマホを介した人間関係も、うまくいっている。でも大人の間でさえ、「子どもなの?私たちなの?どっち?」みたいな迫り方が、まかり通っている場もあるらしいと、逆にわかってしまった。人間関係その他の「程度問題」を学習中の子どもたちには、このあたりの加減が、ほんとうに難しくて、ぐちゃぐちゃになってしまっているのだろう。
 スマホコミュニティはおっかないもんだなあ、そんなに「みんなと一緒」じゃないとダメなのかな?と、他人事のように考えていたら、私も小5から中1ぐらいまで、「一人でトイレに行けない症候群」を患う、ごくふつうの女の子だったのを思い出した(男の子には多分わからないでしょうね)。
 トイレだけでなく、教室移動も、体育の着替えの時も、ちょっとしたおしゃべりも、気の合う「決まった一人の相手」を持たないとかっこわるい。それは、まわりじゅうが配偶者持ちで、みんなが二人ずつ組になって、楽しそうに夫婦の会話を楽しんでいるのに、自分一人だけ独身で話し相手がいないから、その時間をだんまりでやり過ごさねばならない感じといったらよいか。
いや、もっと厳しい。独身は独身でかっこいい。それ以前の「同性の友達さえ持てない、かわいそうな孤独な子、イコール人間として本当に価値のない、居るだけ無駄な子とみんなに見られている私」なのだ。それを想像してみるだけでも怖かった。
 あるとき、喧嘩をしたわけでもないのに、いつも一緒に居てくれたA子ちゃんが心変わりをして、B子ちゃんと一緒に居ることにしたらしく、私は一人になった。学校でうろたえたらよけいにみじめだと思って、平気を装ってその日をやり過ごした。家では、仕事から帰った母の膝に顔をうずめて、さめざめと泣いた。
それは後に経験した失恋(プラトニックだけどね)の痛手よりも大きくて、本当に苦しかった。でも失恋の時、過去に女の子で「練習」してあってよかったと、やはり母の前で泣きながら、ちゃっかり思った。
 女の子ペアからはじき出されて一人になったら、この上ない屈辱で、人の哀れみを一身に受ける、みじめな子になると思っていたのが、自分がなってみたら、全然そんなことはなかった。第一、私が一人だろうが誰かと一緒だろうが、誰も気にしていないようだった。
それに、よく考えてみたら私自身が、一人で居る女の子を、哀れんだり軽蔑したりするつもりが全くないことに、初めて気が付いた。自分がそんな人間だとこれまで思っていたのか? たとえ自分のことだとしても、見くびらない方がいいよ!と思った。それに友達(ステディ以外の女の子たち)だって同じことだ。これまで何をあんなに先回りして心配したのかと、気が抜けた。
 A子ちゃんやB子ちゃんは、「取った」「取られた」の対象になりやすい、緊張をはらんだ、華やかで人気のある女の子たちだった。人様からの取り合いの対象になり得ない地味な私も、A子ちゃんと一緒に居さえすれば、価値が上がるような感じの。
緊張組を離れて、のんびり組のC子ちゃんやD子ちゃんと、あまり固定的でなく一緒に居るようになってみたら、世界ですてきな女の子はA子ちゃん一人しかいないぐらいに、ずっと思ってきた熱も冷めた。
 当時の自分を思い出すと、スマホ仲間にしがみついている子どもたちを、たしなめることはできない。もし自分がスマホで仲間はずれになったら、もう生きていけないほど誇りがずたずたになって、自分の存在意義の根底が揺らぐと信じ込んでいる子どもたちの気持ちを、私も確かに知っていたと思う。だから、外から「そんなのは、ばかばかしいからやめなさい」と言っても届かないだろう。でも「そこから自覚的に離れたら、『なーんだ』ってなるよ」というのは事実。
 さて、今の子たちが、学校友達と、放課後もスマホでつながり続けたがる(つながり続けざるをえない)不自由について考えていたら、江戸時代の「五人組」と、その復活型、第二次世界大戦中の「隣組」を思い出した(小学校で習った)。かつてお上に言われて、人々が互いに監視し合うための組織を「作らされた」のだったが、今は誰も強制していないのに、自主的に、スマホという相互監視装置によって、長時間の相互思想管理を徹底させている。
なんだかとても不気味な感じがする。子どもたちだって、多分「ちょっと嫌だな」と思いながら、「でも、仕方がないのよ」と思って、我慢して続けているだけではなかろうか。真冬だというのに制服のスカートを短く履いている子が「ほんとは寒いから、もっと長いスカートがはきたいんだけど、みんながこうしてるから、仕方なく」と我慢していると聞いて、なんて克己心の強いがんばりやさんたちだろうと、感心しながらあきれた。私の「寒くてかぜひいた」を「みんな」にかばってもらえるわけじゃないのに。
スマホによる時間の浪費は命の浪費だ(「命とは時間です」by日野原先生)。「みんなの」残り時間は、平均あと70年でも、「わたしの」残り時間はあと10年かもしれない。少なくとも、その若さ美しさういういしさと共に在る時間は、誰にも等しく短い。自分の時間は、できるだけ自分の意志で使ってほしい。
 現代の五人組、スマホ版相互監視制度が不気味だと思う人は、本業(べんきょうとルビを振る)に逃げようね。全寮制の受験校や、囲碁将棋のお弟子さん達は、個人用のテレビラジオパソコンスマホなどの持ち込み一切無しの環境で、生活していると聞く。自分が本当に大事に思うことへの集中力を育てるには、今やそこまでしないとだめなのだろうか。なんとか親が守ってやれるとよいのだけれど。

2015年5月18日月曜日

頂いた薔薇の花 

アンジェラ(天使。小振りの濃いピンク)
ピエール・ド・ロンサール(ルネサンス期のフランスの詩人。ピンクのグラデーション)
ブラックティー(ダージリン、アッサム、セイロン、ルワンダ、ケニア、タンザニア等を産地とする紅茶で、フレーバーティーでないもの。ストレートティーの意ではない。煉瓦色)
バーガンディー・アイスバーグ(ブルゴーニュ産ワインのようなワインレッドの氷山。ワインレッド)
フレンチレース(わずかに桃色がかかった象牙色) 
 

2015年5月14日木曜日

好き嫌いとアレルギー~皮膚感覚についてⅢ




 子どもの時から食べ物の好き嫌いが多くて、給食ではずいぶん苦労した。聞くところによると、掃除中のほこりの舞い上がる中、残した給食を全部食べるように席にとどめ置かれたり、吐き戻しを口にねじ込まれたりと、「それはホラー映画か、都市伝説だよね。現実じゃないよね」と言いたいようなことが、起こっているらしかった。昔の話と思いたい。
 私は小学校12年のときに給食を「食べなさい」「頑張りなさい」と指導されただけで、特に強制や虐待にあたることはされていない。でも「みんなの前で、一口でいいから食べてみて」「(細心の注意を払って、自分ができる最小のおちょぼ口に入れて、噛まずにそのまま)ごっくん(涙目)」「頑張りました~、みなさん拍手」とほめられる(?)のはひどくつらかったし、却って嫌いなものが増えたと思う。
どんなにお勉強を頑張って、お友達に親切にしたところで、自分のように給食を残す者は、決して「よい子」にはなれないと思って、悲しかった。よい子になりたかった。先生の御おぼえをめでたくするためではない。植物に「正の走光性」があるように、「神さまの前での善き人間」になりたかった。小学校低学年の子どもは皆、そうではないだろうか。
 3年生以降は指導もなく、放っておいてもらえたので助かったが、中3までのお昼ご飯は、嫌いなものばかりが出て、飲み込めたのはパンだけという日も結構あった。「出されたものを残す」というのは、「食べ物を粗末にした」という罰当たりなことでもあった。
 給食を卒業してしばらく後、給食の蕎麦を食べて亡くなった子がいたと知る。その子、お蕎麦が大好物だったのだといいな。「あんまり好きじゃないけど、残すなと言われて、頑張った」なんてことはありませんようにと願った。
 仕事でヨガのお産の本を作ったとき、著者の先生が「好き嫌いという形で、本能的に自分のアレルゲンとなる食べものを避けている場合もある」とおっしゃった。それまで「食べ物の好き嫌い=わがまま」として、後ろめたさに縮こまるばかりだったところに、「反省一辺倒でなくともよい」という光が、うっすらさしこんだ気分だった。
 父が喘息、私が小児ぜんそくをやり、かぶれやすく花粉症もあるので、子どもにアレルギー体質を引き継がせないためにどうすればいいかと、いろんな本を読んだ。私の得た結論は、以下である。離乳食は「穀物」「野菜」「白身の魚」の順に、少しずつ様子を見ながら、時間をかけて慣らしていく。栄養が豊かで便利という理由で、最初から使われることの多い牛乳や卵は、ほとんど一番最後にしましょう…。そうだったのか!
 近年、子どもの食物アレルギーが激増して、学校が家庭に、除去すべき食物を尋ねる方向に変わった。そのいきさつを見ても、「アレルギーがあるから、好き嫌いを言って、自分の体を守っている」という考え方を支持したい気分だ。
 三味線の漆に始まるかぶれとの付き合いの中で、痛痒い、不愉快、醜いことに耐える辛さから、皮膚に関してあまりいい印象を持っていなかった。ところが子どもたちが小さいころ、夫が「体の中で一番大事なのは?」と尋ねたとき、末っ子が「皮膚」。その理由は「人と自分を分けるから」と言ったときには驚いた。その後、「皮膚は体の中で最大の臓器」という考えを知り、子育て本としてシャスティン・ウヴネース・モベリ『オキシトシン―私たちのからだがつくる安らぎの物質』(晶文社)など、一連の皮膚の本を読むようになった。

2015年5月11日月曜日

母子分離はどう進むか~皮膚感覚についてⅡ



 自分のことはわからない。人のことだとよくわかる。母子分離についてもそうだった。
 公民館主催の乳幼児学級の講師を、何度かしたことがある。これは、乳呑児とお母さんを集めて、ペアを作る。AさんとBさんは、隔週で互いに子どもを預け合って勉強する。Aさんの受講中はBさんが自分の子どもとAさんの子どもを見る。翌週は反対。講師は2週にわたって、全体の半分ずつのお母さんたちに、同じ話をする。
 たぶん、お子さんと離れるのはこれが初めて、という方が多かったと思う。そこに来ていたのはあかちゃんばかりだったのだから。
 私の講演は、いつも「お隣同士の自己紹介」で始める。自分が聴講する際、これから何を聞かされるのかなと構えているときに、ちょっと自分で声を出してみると、緊張がほぐれるからだ。当時は「名前、誕生日、好きな色、好きな物音、好きな匂い、好きな味、好きな手触り」で尋ねていた(今はセキュリティの関係上、誕生日を聞くのはやめている)。
 すると、どのクラスでも判で押したように「誕生日って、子どもの誕生日ですよね?」と、聞かれた。当時の私は既に3人の子持ちで、子どもの誕生日は3つもあったから、尋ねられて答える誕生日は、自分の誕生日以外、考えていなかった。
 しかしほんの数か月前に、人生でただ一度の「初産」を経験したばかりのお母さんたちにとって、誕生日と言えば、子どもの誕生日が筆頭である。自分の誕生日?お花?ケーキ?プレゼント?そんなもの、ちゃんちゃらおかしくて、語るまでもない、というところだったのだろう。
 私にもそういう1年間は、確かにあったはずだ。しかし、すっかり忘れていた。面白いなあと思った。まだ自分とあかんぼの境目というものがはっきりしていなかった時間だったなと思い出す。そのなかにどっぷりとつかっていられる受講生のお母さんたちのお幸せを、祝福したい気持ちだった。
 私の「その時期」にも、地域の乳幼児学級があった。しかも、大学時代の恩師、津守眞(つもりまこと)先生の奥様であり、私どもの大先輩でもある津守房江先生が、つくばにいらしてくださるというではないか! 房江先生のご本は育児書として愛読していて、すでにボロボロ。ぜひとも先生のお声を聞きたかった。でも90分×5回、子どもと離れるのは耐え難い。「房江先生の回だけ伺うことはできませんか。もちろん、翌週、他のお子さんをお預かりします」と交渉してみたが、全回参加できる方だけを募集しているので無理のことだった。
 そんないきさつがあって「初産後1年以内の母親にとっての筆頭誕生日」に気づくのが遅れたが、その時期はきっと私も同じ質問をしたに違いない。
 さて、上の子二人は「自主保育」に通っていた。活動場所は主に市内の公園や川などの屋外で、時々親も保育参加する。そこで3歳ぐらいの坊やがトカゲを捕まえて、うれしそうに掲げて、周りの子どもに見せていた。それを見たお母さん(私のすぐそばにいらして、坊ちゃんとはちょっと遠く)が、その場で、大きな声で「捨てなさーい。今すぐ捨てなさーい。手を放しなさーい。早くー」と叫び始めた。
 ちょうどそのころ、「カエルの中には毒を持つものがあるので、触った後は必ず手を洗うこと。特に、カエルを触った手で、目をこすらないこと」という記事を、新聞で読んだ。そうなんだ。「カエル注意」ね。了解。でも「トカゲ注意」の話は聞いたことがなかったので、「トカゲにも毒があるんですか?」と、聞いてみた。
「わかりません」と私に。「早く捨てなさーい」と坊っちゃんに。忙しそうな彼女の様子を見ながら考えた。もし息子の触っているものが本当に有毒なら、こんなところで口だけで注意していないで、すぐに子どものところに行き、わしづかみにしてやめさせ、手を洗わせるだろう。だから多分、大丈夫だ。
 「どうしてトカゲを捨てないとだめですか?」と尋ねてみると、「だって、気持ち悪いじゃない!」と、悲鳴のような答えが返ってきた。
 私は感動してしまった。このお母さんの皮膚は、まだ子どもの皮膚と1枚につながっている。子どもは自分、自分は子ども。子どもがとかげに触ったら、自分が気持ち悪くて飛び上がる。まだそんな時間の中におられるのだ。うらやましいなあ。私には取り戻せない感覚だ。
 自分がもう持っていないものを、他の方が持っておられることに気づいて初めて、自分の母子分離の初期の2段階が、完全に過去形と知ったのだった。