2015年5月11日月曜日

母子分離はどう進むか~皮膚感覚についてⅡ



 自分のことはわからない。人のことだとよくわかる。母子分離についてもそうだった。
 公民館主催の乳幼児学級の講師を、何度かしたことがある。これは、乳呑児とお母さんを集めて、ペアを作る。AさんとBさんは、隔週で互いに子どもを預け合って勉強する。Aさんの受講中はBさんが自分の子どもとAさんの子どもを見る。翌週は反対。講師は2週にわたって、全体の半分ずつのお母さんたちに、同じ話をする。
 たぶん、お子さんと離れるのはこれが初めて、という方が多かったと思う。そこに来ていたのはあかちゃんばかりだったのだから。
 私の講演は、いつも「お隣同士の自己紹介」で始める。自分が聴講する際、これから何を聞かされるのかなと構えているときに、ちょっと自分で声を出してみると、緊張がほぐれるからだ。当時は「名前、誕生日、好きな色、好きな物音、好きな匂い、好きな味、好きな手触り」で尋ねていた(今はセキュリティの関係上、誕生日を聞くのはやめている)。
 すると、どのクラスでも判で押したように「誕生日って、子どもの誕生日ですよね?」と、聞かれた。当時の私は既に3人の子持ちで、子どもの誕生日は3つもあったから、尋ねられて答える誕生日は、自分の誕生日以外、考えていなかった。
 しかしほんの数か月前に、人生でただ一度の「初産」を経験したばかりのお母さんたちにとって、誕生日と言えば、子どもの誕生日が筆頭である。自分の誕生日?お花?ケーキ?プレゼント?そんなもの、ちゃんちゃらおかしくて、語るまでもない、というところだったのだろう。
 私にもそういう1年間は、確かにあったはずだ。しかし、すっかり忘れていた。面白いなあと思った。まだ自分とあかんぼの境目というものがはっきりしていなかった時間だったなと思い出す。そのなかにどっぷりとつかっていられる受講生のお母さんたちのお幸せを、祝福したい気持ちだった。
 私の「その時期」にも、地域の乳幼児学級があった。しかも、大学時代の恩師、津守眞(つもりまこと)先生の奥様であり、私どもの大先輩でもある津守房江先生が、つくばにいらしてくださるというではないか! 房江先生のご本は育児書として愛読していて、すでにボロボロ。ぜひとも先生のお声を聞きたかった。でも90分×5回、子どもと離れるのは耐え難い。「房江先生の回だけ伺うことはできませんか。もちろん、翌週、他のお子さんをお預かりします」と交渉してみたが、全回参加できる方だけを募集しているので無理のことだった。
 そんないきさつがあって「初産後1年以内の母親にとっての筆頭誕生日」に気づくのが遅れたが、その時期はきっと私も同じ質問をしたに違いない。
 さて、上の子二人は「自主保育」に通っていた。活動場所は主に市内の公園や川などの屋外で、時々親も保育参加する。そこで3歳ぐらいの坊やがトカゲを捕まえて、うれしそうに掲げて、周りの子どもに見せていた。それを見たお母さん(私のすぐそばにいらして、坊ちゃんとはちょっと遠く)が、その場で、大きな声で「捨てなさーい。今すぐ捨てなさーい。手を放しなさーい。早くー」と叫び始めた。
 ちょうどそのころ、「カエルの中には毒を持つものがあるので、触った後は必ず手を洗うこと。特に、カエルを触った手で、目をこすらないこと」という記事を、新聞で読んだ。そうなんだ。「カエル注意」ね。了解。でも「トカゲ注意」の話は聞いたことがなかったので、「トカゲにも毒があるんですか?」と、聞いてみた。
「わかりません」と私に。「早く捨てなさーい」と坊っちゃんに。忙しそうな彼女の様子を見ながら考えた。もし息子の触っているものが本当に有毒なら、こんなところで口だけで注意していないで、すぐに子どものところに行き、わしづかみにしてやめさせ、手を洗わせるだろう。だから多分、大丈夫だ。
 「どうしてトカゲを捨てないとだめですか?」と尋ねてみると、「だって、気持ち悪いじゃない!」と、悲鳴のような答えが返ってきた。
 私は感動してしまった。このお母さんの皮膚は、まだ子どもの皮膚と1枚につながっている。子どもは自分、自分は子ども。子どもがとかげに触ったら、自分が気持ち悪くて飛び上がる。まだそんな時間の中におられるのだ。うらやましいなあ。私には取り戻せない感覚だ。
 自分がもう持っていないものを、他の方が持っておられることに気づいて初めて、自分の母子分離の初期の2段階が、完全に過去形と知ったのだった。