2015年5月14日木曜日

好き嫌いとアレルギー~皮膚感覚についてⅢ




 子どもの時から食べ物の好き嫌いが多くて、給食ではずいぶん苦労した。聞くところによると、掃除中のほこりの舞い上がる中、残した給食を全部食べるように席にとどめ置かれたり、吐き戻しを口にねじ込まれたりと、「それはホラー映画か、都市伝説だよね。現実じゃないよね」と言いたいようなことが、起こっているらしかった。昔の話と思いたい。
 私は小学校12年のときに給食を「食べなさい」「頑張りなさい」と指導されただけで、特に強制や虐待にあたることはされていない。でも「みんなの前で、一口でいいから食べてみて」「(細心の注意を払って、自分ができる最小のおちょぼ口に入れて、噛まずにそのまま)ごっくん(涙目)」「頑張りました~、みなさん拍手」とほめられる(?)のはひどくつらかったし、却って嫌いなものが増えたと思う。
どんなにお勉強を頑張って、お友達に親切にしたところで、自分のように給食を残す者は、決して「よい子」にはなれないと思って、悲しかった。よい子になりたかった。先生の御おぼえをめでたくするためではない。植物に「正の走光性」があるように、「神さまの前での善き人間」になりたかった。小学校低学年の子どもは皆、そうではないだろうか。
 3年生以降は指導もなく、放っておいてもらえたので助かったが、中3までのお昼ご飯は、嫌いなものばかりが出て、飲み込めたのはパンだけという日も結構あった。「出されたものを残す」というのは、「食べ物を粗末にした」という罰当たりなことでもあった。
 給食を卒業してしばらく後、給食の蕎麦を食べて亡くなった子がいたと知る。その子、お蕎麦が大好物だったのだといいな。「あんまり好きじゃないけど、残すなと言われて、頑張った」なんてことはありませんようにと願った。
 仕事でヨガのお産の本を作ったとき、著者の先生が「好き嫌いという形で、本能的に自分のアレルゲンとなる食べものを避けている場合もある」とおっしゃった。それまで「食べ物の好き嫌い=わがまま」として、後ろめたさに縮こまるばかりだったところに、「反省一辺倒でなくともよい」という光が、うっすらさしこんだ気分だった。
 父が喘息、私が小児ぜんそくをやり、かぶれやすく花粉症もあるので、子どもにアレルギー体質を引き継がせないためにどうすればいいかと、いろんな本を読んだ。私の得た結論は、以下である。離乳食は「穀物」「野菜」「白身の魚」の順に、少しずつ様子を見ながら、時間をかけて慣らしていく。栄養が豊かで便利という理由で、最初から使われることの多い牛乳や卵は、ほとんど一番最後にしましょう…。そうだったのか!
 近年、子どもの食物アレルギーが激増して、学校が家庭に、除去すべき食物を尋ねる方向に変わった。そのいきさつを見ても、「アレルギーがあるから、好き嫌いを言って、自分の体を守っている」という考え方を支持したい気分だ。
 三味線の漆に始まるかぶれとの付き合いの中で、痛痒い、不愉快、醜いことに耐える辛さから、皮膚に関してあまりいい印象を持っていなかった。ところが子どもたちが小さいころ、夫が「体の中で一番大事なのは?」と尋ねたとき、末っ子が「皮膚」。その理由は「人と自分を分けるから」と言ったときには驚いた。その後、「皮膚は体の中で最大の臓器」という考えを知り、子育て本としてシャスティン・ウヴネース・モベリ『オキシトシン―私たちのからだがつくる安らぎの物質』(晶文社)など、一連の皮膚の本を読むようになった。